セルフケアのクリエイティビティの提供手段としての書店
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このEC書店は『一人で生きる書店』と命名しましたが、EC書店を通じて提供したいのは、本の中にあるセルフケアの手段と世界をサバイブするための知恵という武器です。
セルフケアに関しては、他人にケアしてもらうことを前提にして生きると、他人が後々絶対についていけなくなるか、ケアに金を使いすぎて破産するからです。人をケアすることを生きがいにしている人だっていますよ。ですが、後で絶対ケアにつかれてキレますから、その人。ケアなんて生活の知恵を絞って基本セルフでやるのが前提にしないと、生活が破綻します。
世界をサバイブするにしても、基本まず一人一人が自分が生きることが精いっぱいなのだから、人の善意に自分が生きることを助けてもらうことを前提に生きることは持続可能性がありません。人の善意に助けてもらうことが前提というより、公共福祉を整備して仕事としてケアする人に頼ったり、マッサージのようにビジネス上の契約の上でケアしてもらったり、バリアフリーの自宅やユニバーサルデザインの製品で生活環境を囲む方が生活の持続可能性をまだ感じています。そして、そもそも一人で生きていける人間にしか、他人を助けることなど出来ないと思っています。
クリエイティブはそれ自体が目的ではなくて手段です。一見クリエイティブが欲しいと切望している顧客にしても実際に求めているのは、自分たちの価値観や生き様を肯定するケアだったり、退屈や「何か新しいことをしなければならない」という人生の焦りを一時的にしのげるコンテンツだったりします。私が困っているのは、前者を提供する際の疲弊する感情労働のプロセスであり、前者のケアを受ける側になることに対する精神的負担です。そのために、このEC書店を通じて前者のケアを、顧客と距離を置きつつ顧客の人生の自己決定権や、他人に無力に泣きつくことなく自分の人生を自分でコントロールできる自己効力感を尊重しながら提供しようとしています。後者は単に飽きたら別のコンテンツに移っていきますが、前者は執着や愛着、プライドの問題があり関係に距離を取らなければ、いずれ泥沼化します。
介護の三原則をご存じでしょうか?自らの環境をいきなりすべて変えることなく、自らのケアに関することは自ら自己決定し、自らが出来るケアは自ら行うことがその人の尊厳につながります。一方でそのようなことが考慮されない不適切なケアは互いを疲弊させます。
「人を助けたい」その想いでなされる助ける対象の意志や現状が全く考慮されない善意の押しつけが、どれだけその人を苦しめているかに思いをはせたことはありますか?人はペットじゃないんですよ。
その点、書籍は人間とそこそこ距離が取れていて、他人を自分の愚痴のゴミ箱扱いしたくないとか、愚痴を聞くフリや親切をするフリをして自分をコントロールしようとする人から遠ざかりたい人に対する心の友として最適です。
それに加えて、世の中の科学技術は世界の真理を明らかにし、社会の秩序を保つことに貢献しますが、あなたや私個人の幸せや絶望に興味はありません。そういうパーソナルなものに興味あるのは、大体はビジネスとしてお金になる場合だけです。
だから、非常にパーソナルなメディアとしての書籍は心の友としても価格も最適です。本を売る側もマジで儲かりません。『本 掛け率』で検索したらわかります。それでも本売ってる人間は、そうしないと生きていけないぐらいの生き方の不器用さを持っていて、本を精神的な支柱にして生きています。そう、金の関係を抜きにした友達として付き合うなら本が最適です。本当に本なんか売ってもマジ儲からないんだから!(つд⊂)エーン。でも本という友達をたった一人のあなたに届ける。
あれこれ書きましたが、そういった現実に対処するためのセルフケアとセルフサバイブの方法として『本は友達』を提供するために、この書店は運営していきます。
『メディアはマッサージである』とマーシャル・マクルーハンという人が昔言ったっぽいのを大学で習いました(うらおぼえ)。それを踏まえて、このEC書店にいるときだけは社会のメディアの多様化とちょっと距離を置いて、自分の価値観を自分でコントロールする力を「自炊飯旨い」「朝のラジオ体操で体も生活もパリッとする」ぐらいの地べたの生活感やセルフケア、セルフサバイブの知恵から取り戻せるように運営していきます。
自分の周りに本積んで、自分の価値観の城作って、自分の価値観を『余計なお世話』で変えようとしてくる奴らから守っていこうぜ!