他人の余計なおせっかいを、AIと読書でぶっ飛ばせ!
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『教えたがり』な人って自分の周りにいませんか?
自分の趣味に染まってほしい、自分がすごいことを知ってほしい、自分の価値観に変えたい。
そういう人たちの『教えてあげる』『サポートしてあげる』攻撃は、人の自己効力感を根こそぎ奪っていきます。
そういう教えたがりの人に質問なんてしたくないですよね?
しかも、そういう人に限って、自分のポジションとタイミングを考えずに「教えてあげる!」「教えてあげる!」「教えてあげる!」と善意でウザく絡んできます。自信満々で善意で教えていて、自分のことを一点の曇りもなく全く疑ってないんです。教えられる側の正しさや都合・忙しさなどのタイミングを全く理解しようともせずに。さらに、その善意をこちらが痴漢を拒否する如く拒否すると、自分が拒否されると思っていなかったのかすごくオロオロするしキレる。自分が人から拒否されると思っていないのが、自信過剰ですごすぎます。基本、自分以外は他人です。
最近も私はガスライティングという嫌がらせの手口を受けたのですが、『教えたがり』な人って自分を優秀に見せるためには何でもしますね。本当にすごい。嘘も平気でつくし、自分の視点からサポートの視点である他人の視点に一切動こうとしないで、『すごいHOWを教えてあげる』というキラキラした自分の視点からの善意の名のマウンティングをしようとする。
ですが、質問はまずChatGPTなどのAIにして、それでも不明点があれば読書で疑問を解決できるいい時代になったものです。HOWを他人から縛られない。
結論、他人の『人をコントロールしたい』ためのおせっかいを、セルフケア精神をもって、AIと読書でぶっ飛ばして生きていこうぜ!
特にITなら、人からのサポートと比較するとChatGPTやCopilotからのサポートは圧勝です。本読んで語彙力あれば、人のメンツに気を使わないでAIにセンシティブだったりクリティカルな質問を落ち着いてできる。後述する「なぜ挨拶をしないといけないのですか?」の系統の質問は特に人にしづらいですし、単に質問したいだけで議論なんかしたくない場合は生成AI使うと特にいい。ChatGPTやCopilotがあれば、「IT助けてあげる」を称した『俺の技術凄いアピール』のおせっかいも防御できる。
ちなみに人に何かをしてほしいなら『ゴール設定』『目的共有』『体制構築』『予実管理』や『進捗管理』でよくて、『HOWの指導』は些末で余計です。HOWは単なる参考情報。HOWは教えるのではなく共有する。HOWは体格や育ち、性格で出来る出来ないがあるので、個人的には好きにしたらいいものだと私は考えています。教えもらった方法を使ってチャレンジに失敗しても、教えた人は大体責任持ってくれません。何度も同じ事象に対処するために再現性が求められるHOWは、人間が覚える必要がなく、ITシステムがこなすようにしたらいいんです。そもそもHOWは常に最新のやり方が出るので、特段理由もなくHOWに縛られなくていいんです。
他人との距離感がバグって、他人に色々教えたくなる人を私は見てきました。
でも、他人にも人生や経験があるんですよ。その人生経験の枠組みのなかで、その人なりに物事を解釈したり取り入れたりしています。20代ですら一人の大人であり人格ある他人なんですよ。その他人に何かを教えても、自分のコピーは作れません。自分以外は、あくまでも他人です。他人は弟子や舎弟ではありません。そして、実はこの舎弟関係、少子高齢化でもう続かないんです。師匠に気に入られなきゃいけない、失敗しても気に入られているかどうかに許しが左右されるプレッシャーより、客観的なデータに基づいたフィードバックや、データから読み取れる再発防止策の実施の方が、『師匠のお気に入りになる』プレッシャーから解放されて、仕組みとして客観的に改善し、スキルを師匠とは別の路線から習得できます。特に女性は、人と一緒にHOWをするという、セールス的でベタベタした気持ち悪いやり方にこだわらなくていい。今ならITならGitHubでソースコードを読めばいいし、スポーツ競技なら自分の競技のビデオ撮影から振り返って改善するのが当たり前になったように、HOWは師匠のご機嫌におびえながらべったりついて学習しなくても、記録メディアからその人にあった方法を探す時代になっている。
他人との距離感がバグって他人に色々教えたくなる人というのは、こういう、人と一緒にHOWをしたくなる人のことを指します。でも、そもそも他人と自分は、見た目も筋力も感覚も生きてきた時代背景も違いますよね?そういう現実がある中で、フィジカルに頼ってHOWを統一するのは無理がありませんか?自分と他人の距離、引けてますか?
なお、自分がここまで文章書くのは、他人が友達や仲間感覚で善意で馴れ馴れしく距離を無神経に詰めてきて、物事の説明を省いてコミュニケーションを取ってくるのが、自分の人生の中で死ぬほど辛かったことにあります。
本来、人に教えるプロは、教える方法のトレーニングを受けています。
教えるときに目線を合わせて膝を折っていますか?落ち着いて目を見てメリハリのある話し方をしていますか?黒板やホワイトボードの使い方は教わる側がメモを取る時間を考慮しながら広く使っていますか?教科書や学習サポート用具、ドリルを使っていますか?要点や重要ワードは強調してメリハリつけて教えていますか?Whyから腹落ちさせるように現実社会に合わせた例え話をしていますか?教えた先の目標やゴールはありますか?教わる側の思考の癖や特性(耳から入る情報が強い・目から入る情報が強いとか)を確認していますか?課題のハードルをクリアするごとに一緒に喜び、躓いてもナイスチャレンジと励ましていますか?「ここはよかった」「こうすればもっと良くなる」という観点からフィードバックしていますか?そもそも自分から挨拶はしていますか?教わる側が一生懸命作ったアウトプットにすべて目を通して確認しているサインを残していますか?学ぶ時間、自主学習の時間、休憩時間など、時間の使い方の規則性に学びと成長のための合理性はありますか?「なんでも質問して」とうかつに言って、自ら質問を拾いに行くことを放棄していませんか?『友達関係』『舎弟関係』があれば、教えられると思ってたりしませんか?教える相手に丁寧語ぐらいは使っていますか?
そもそも「なぜそれをしなければいけないのですか?」「なぜそれを覚えないといけないのですか?」
それに対して社会の仕組み・ルール・歴史から答えていますか?私は答えています。教育は、単にHOWを教えたら済むものじゃないんです。素朴に社会を知らないだけで発っせられる悪気がない「何故挨拶をする必要があるのか?」という疑問まで「それが社会のルールだから」以外の言葉で教える覚悟で『教える仕事』に入ってきてますか?そんな社会のルールの成り立ちの経緯を、私は腹落ちするまで一つずつ書籍で調べてきたような人生でした。
「なぜそれをしなければいけないのですか?」の中で一番難易度が高い「何故挨拶をする必要があるのか?」という質問、若手からよく聞きますが、正直無礼ですよね?
私は、ITの通信でもTCP/IPみたいに通信機器が互いに通信可能かどうかの確認があるとか、海外では挨拶は不審な人間ではないとする証明だとかで、人との疎通確認の一つである挨拶をすることの合理性を自分の中で腹落ちさせました。だから、その社会性の感覚を無視する、「何故挨拶をする必要があるのか?」という質問は、多くの人にとっては無礼なんです。一方で、そういう無知からくる無礼な質問に正面から答える人は中々いません。そこでさらに「無礼であることはなぜいけないのか」とか、疑問を掘ろうと思えばいくらでも掘れます。(理由としてはそこまでの過剰な場の空気の読みあいもせず、予定調和の付き合いの中で安定して社会生活を送るためですが)
こういった「世の中の常識がなぜあるのか?」という単なる育ちの悪さの無知からくる話は友達関係の中では話し合われることはありません。顔見知りの友達なら互いの暗黙の了解の中においては、他人同士の社会の中で生きるための挨拶は必要ありません。舎弟もまず師匠がルールであり、師匠が挨拶を必要としないのであれば必要としませんし、師匠が挨拶しろというなら理由なく挨拶はします。ですが、友達も舎弟関係も、他人同士の中で生きる社会の中の関係の話は細かくしません。
ですが、そういうことも考慮せずに、自分がすごいプレイヤーだからとか、世の中的に凄いことなら権威で伝わるからといったことで人に教えることができると思っていたなら、それは単なる傲慢です。自分以外は、他人です。そんなに簡単に通じません。
そんな他人の傲慢さから逃れて、本を友達にする我々は、読書やAIで、自分のをケアしましょう。
自分の人生に責任持つのは自分しかいないです。ですので、そういう自分の主体性と自己決定を大事にしていきましょう。『教えたがり』は、あなたの人生に責任持ってくれないんです。
『教えたがり』は自信満々に自分の視点で押し付けてきます。ですが、本は自分の視点で自分から主体的に選択できます。そして、本を読んでいると、とにかく怒鳴り散らして自分をあっけにとらせて黙らせようとする相手がおかしくて、自分がおかしいわけではないことがわかります。特定の人の話だけ聞いても、特定の本だけ読んでも偏るので、同じジャンル本、最低10冊読めば傾向はわかります。
その善意の『教えたがり』、実は単なるセールスや支配欲ではないですか?
自分の視点から他人の視点に入るサポートになってませんよね。
セールスしたり舎弟を作るノリで教育分野に入ると、本当に、ろくなことが起こらないです。特に、伝統工芸分野や飲食とか建設分野といった、フィジカルな分野、本当に今、人が育ってないでしょう。その教え方、単に中々自分の舎弟が来なかっただけでは?
このショップではなぜか芸人さんの本も置いてありますが、よしもとの養成所・よしもと所有の劇場・M-1などのコンテスト・ビデオやYouTubeで繰り返し大量に芸を見ることができるようになった時代に代表されるように、舎弟関係を壊すのは学校や競技化などのマス教育の仕組化と録音・録画・記録メディア環境の発展です。何を学び取るかは師匠に左右されるのではなく自分で選び取る時代になったとき、先行して選び取ってきた芸人さんの本は心の友になるでしょう。
徒弟制否定論者として参考図書:
体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉伊藤 亜紗 (著)
部下に「困ったら何でも言ってね」はNGです 若手社員は「肯定」と「言語化」で自ら動き出す 伊藤 誠一郎 (著)
脱・叱る指導 スポーツ現場から怒声をなくす 村中 直人 (著), 大利 実 (著)
急成長を導くマネージャーの型 ~地位・権力が通用しない時代の“イーブン”なマネジメント 長村 禎庸 (著)
生成AIで変わる障害者支援の新しい形 ソーシャルワーク4.0 田中康雅 (著)
LDの子が見つけたこんな勉強法: 「学び方」はひとつじゃない! 野口晃菜 (著), 田中裕一 (著)
仕事だけでなく大学の課題に関連して読みました。