人よりコンクリ(とか本)
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まーコミュニティによくある、話し合いとか対話とか辛いなーって。
いやだって、育ち悪い悪い民からしたら、自転車ノーブレーキで壁に突っ込むガキとか、大阪の動物園の近所に座ってるタトゥー入った皮ビロビロになったタンクトップのおっさんとか、よーわからん色のスーツ着たそのスジの人とか、何で対話できるねんと。「そんな奴おれへんやろ~」のそんな奴、おるやん。そんな中で対話とか現実抜きに善意とか労力とか頼りすぎやし、対話を解釈する側の翻訳力に頼りすぎやろと。
だからこそ、「飯やっとけ、飯食うて生きとったら、たまには人間の言葉話すやろ」ぐらいの期待値でええんですよ。
ベンチャーとかスタートアップとか足洗ったけど、支援業界とか良くいる奴として、マジ『自己実現』を支援するのホンマだめっすよ。この記事にマズローの絵、投稿したけど、他人の『自己実現』なんて話聞いたってわからん。他人の自己実現を理解する、しようとする手間かかるぐらいなら、さっさと一人で実現した方がいいし、支援なんかそれまでの間、そいつに飯食わせるぐらいでいい。で、そこでちょっとイラっとするのが、他人を支援する業界は、飯を食わせて人を守るコンクリの方を結構軽視して、『自己実現』や対話の方を重視しすぎる。なおかつ、支援側が実は理解したいのは『支援側が出来る単純作業や支援側が教える立場に立てて必要とされるストーリー』だろうと。『自己実現』を支援する側が理解しやすい『自己実現』収まろうとするから急に陳腐でつまんなくなるんだよ、『自己実現』。そういうパターナルな『自己実現』って見えるやん。あ、こいつ、合わせたなって。そうじゃなくて、支援側は『自分が他人から必要とされるストーリ』が欲しいだけって割り切って作業を割り振った方が精神衛生上いい。作業でいいんだよ、作業で。『世の中的』に特別なミッションは、何もない。作業であっても、お前の人生を支える特別であればいい。何の変哲のない作業で稼いだ金で、ブランドものを買って仲間に自慢するとか、おねーちゃんの店に行くとか、酒を買うのも特別なものだ。コンクリを作る仕事というのは、そういうもの。
それとは別に、仕事では0から1を立ち上げる(アマチュアリズム的な)仕事と、マーケティング的にキャズムを超えたり、1を10にするような組織化みたいな(プロの)仕事があるけど、「どっちもやりたい奴とか当事者意識を持った奴が『役割分担』してやればいい」話。他人が0から1の人を変えたり、1から10の人を支援の名のもとに「子供っぽいお前にアドバイスしたり教えてやったり」してやらせる話ではない。0から1に開拓するする仕事というのはアマチュアリズムの勇気を発揮するプロが必要な分野で、出来上がった体系に乗っかっているプロの仕事と単純比較する話ではない。役割分担の話である。
特に0から1を1を作った同じ人が1から10にするのは『1を寝かせて1年後の自分が他人となって1を10にする』しかない。そんなことは時間が解決する問題であり、他人が当事者を説教して変えて解決する問題ではない。
そんな感じで、対話の名のもとに人を変えようとするのウザいって思ったら、本読め。
ここで他人から自分を変えられて、実際に変えるのは、自分の人格を5パターンもってパラレルで動かすようなものである。同じ単純作業を皆でパラレルでワイワイ話しながらする話ではなく、時間軸も空間軸も性格も違うソロプレイヤーを5パターン同時並行で考えて動かして実行する話である。複線めっちゃるやん。サッカーの趣味レーションゲームかよ。頭の中でする話しちゃうんよ。いやー、うっぜ、管理うっぜ。でも世の中の管理職基本これ。だからI/Fが明朗なシステム大好き。単なる責任や役割分担大好き。ふわっとしたチームではなく。
人にやってもらったらやってもらったで『感謝』疲れとかあるんですよ。「すごーい!あなたって特別ー!」「仲間サイコー!」って言わなきゃいけないようなプレッシャー。だから、卒制ではめちゃくちゃ業者をつかったけれども、その業者の事務的なインフラ感、マジ助かった。その大げさな感謝のプレッシャーから逃れられるから。しかも感謝するだけでなく、人を巻き込むストーリーを作るとか、いや、ホンマきつい。人をいても基本そんなに楽しくないのに。
ホンマ、マジ疲れるって。自分で最低限生産できるようになると、人に色々気をつかって感謝する労働から逃れられて、感謝の労働で過労死することが無くなるんだよね。それが今回の卒制。インフラは「やって当たり前」の淡々さ。ただ生きることは、当たり前にできることではなくて、めちゃくちゃ努力してやっと最低限生きていけることができるのに。まず生きることを頑張るって感じ。ただ生きることでやることがいっぱい、ただ生きることを社会から許されるために、やることがいっぱい。
話変わって、本とかアートとかをきっかけに人と交流したい人と、本とかアートとかそれそのものが無かったら死んでいた人と2種類いたら、自分は間違いなく後者。自分を変えようとしてくる、自分を売り物にしようとする対話にうんざりしているから。最低限は皮被らないとあかんけどもやな。この方言も、ChatGPTに通して、頭の標準語翻訳負荷落としたいわ。だから、本とかアートとか、『頭の翻訳気にせず話さなくていい』の、良い。人間同士べったべたな対話が不可能だと割り切ったら、まず互いに生きるため・殺しあわないために、食料や水・そして文明の情報をやりとりするI/Fとしての本とか作るの、ホンマ、コミュニティから人間が抜け出して交易する社会の未来志向って感じで、好き。承認要求なんかより、生活物資をやり取りするI/Fマジ大事で1兆円欲しい。承認要求は、稟議のハンコの承認ぐらいは欲しいけれども、自分そのものに全然ない。こんな人間、認められるわけないやろ。だから着ぐるみぐらい着てChatGPTで発言まろやかにしておけって。
人間は飯を食う、生きるという共通項があるならば、自己実現なんかよりまず『生きる』ことを大事にしてやり取りしたらいい。生きることは人類共通。私は一人でさっさと飯を食って雑談を封じて仕事をしてさっさと面倒くさい課題解決するのが好きですが。雑談という名の、まったく共通項のない人間同士が目の前の人に合う話題を探してうなずいたり喜んだりする『解消』仕事があいまいで面倒なので。特に他人の悪口で盛り上がるとかまじ面倒くさいし、寝たい。「人間性ガー」とか言われる対話の話は、心底頭が疲れてうんざりして、ChatGPTに話し言葉を角を立てずにまろやかにしてもらいたい。